こんな話しが残っている。
「なんまいだー、なんまいだー、なんまいだー…(あれ?この続き何やったっけ?…アカン、全然思い出せんわ…)」
お経を度忘れしたお坊さんは、なんとか「なんまいだー」でしのいでいたが、120まいだー辺りで、「なんまいだー」の限界を感じていた。
「なんまいだー、なんまいだー、なんまいだー…(アカンわ、ザワついてきた…これ以上引き延ばすの無理あるわ…せやけど全然思い出されへん…しゃーない、むちゃ言うて切り抜けたろ!)なんまいだー…」
このままだと度忘れしたことがバレてしまい、お坊さんとしての尊厳が失われてしまうと焦ったお坊さんは、ザワついている後ろを振り向くなり、
「おいッ!なんやこの仏堂は!傾いてめちゃくちゃ座りにくいがなッ!こんな場所でまともにお経が読めるかいッ!アホかッ!ワシ、もう帰るわッ!」
と絶叫し、仏堂から出て行ってしまった。
「あの坊さん、無茶苦茶やな…」
そこにいた全員がそう思い、強引に屁理屈をこねくり回して言い逃れるこの様を後世に残し、恥ずかしい行いだということを伝え広めたいと思い、
『堂が歪んで経が読めぬ(どうがゆがんできょうがよめぬ)』
なんていうことわざを創作した。
よほど念が強かったのか、何百年、何千年も経った令和の今でも、あの日のお坊さんの強引過ぎる屁理屈を伝えることわざが、物語と共に残っている。
何が残るか分からない。
屁理屈をこねて飛び出したお坊さんも、まさかたった一回の自分の行いが、反面教師側として時を超え、伝承されることになるとは夢にも思っていないだろう。
と、思っているお坊さんの過ちは一回ではない。
一回を生んだ思考。
それが膨れ上がり強烈な一回を生む。一回は一回ぐらいではなくて、「一回も」。
してしまった一回は、それを受けた多くの一回にもなり、時空を超えてすら残る。
何が残るか分からな、くはない。
与えた傷跡はいつまでも残る。
一回は一塊(いっかい)という大きなかたまりだということを、忘れてはいけない。
そしてまた、それを拭えるのも、積み重ねた一塊(いっかい)だということも、忘れてはいけない。