マッチョさんの剃刀

飲食店で働くすべての人が「この仕事を選んで良かった!」と心から思えるように。

役目という目

 オスカー・ワイルドの童話に、ある街の、高い塔の上に立っている〔幸福の王子〕と呼ばれる銅像が、街を眺めてかわいそうなことが起きているのを知り、涙を流す話がある。

 

 

 そばにいたのが暖かいエジプトに行く途中のツバメで、王子の目となっている宝石や体を覆う金箔をはがして不幸な人に届ける役を引き受ける。

 

 

 

 この季節、飛び交うツバメを見ていると、いつもこの話を思い出す。

 

 

 「僕にはね、街中の悲しみがめちゃくちゃ見えてしまうねん。あそこに病気の子がいるんやけど、薬を買うお金が無いねん。ツバメくん!ちょっと君、僕の剣に付いているルビーをその子に届けてくれへんか?」

 

 

 そんなやり取りを繰り返しているうちに、両目の宝石まで無くなってしまった王子。

 

 

 そんな状況でも王子は満足げに「別にいいねん。あの子たちがそれで幸せになったら」とツバメに言う。その姿を見てツバメは王子の目の代わりになることを決め、やがて満足気に死んでいく。この話は、他者に対する無償の愛を描いた作品として…

 

 

 

 って、おいッ!コラッ!間違っとるわ!巻き込むな!ボンクラ王子!巻き込むならそこそこで開放したれ!自己犠牲は自己で留めとけアホッ!ツバメに対する優しさは無いんかい!だいたいそうやねん… 高い位置から物を見るヤツは、遠くに捧げる愛に酔って、足元の苦しみなんて見えてないねん。お前のせいでツバメは死んだんじゃ!そこそこで「もうえーよ!僕、目が無くても見えるし、宝石や金箔は他のもんに運んでもらうから!」とか適当な嘘でもついて、開放したれよ!生きることの大切さを教えたれ!とにかくまず自分が高い位置からものを見とうことに気づけどアホ!

 

 

 

 と、この話を思い出し、ついでに毎回嘆いてなじってハァハァ言っている。

 

 

 

 ツバメは幸せの使者と呼ばれている。

 

 

 ツバメが本当に僕たちに何かを運んで来る訳ではない。

 

 

 活き活きと飛び交い、巣を作り、懸命に子を育て、巣立ち、暖かい地に向かってまた飛んでいく。

 

 

 その姿を見て、生きとし生けるものの豊かさに触れ、物質的ではない幸せをなんとなく感じ、幸せの使者と名付けたんだろう。

 

 

 活き活きと飛び交い、いつかまた戻って来る。

 

 

 ツバメは生きることで与えている。王子はそれを教えてあげるべきだった。

 

 

 目が無くなっても失ってはいけない。

 

 

 それが、上に立つものの役目だ。

 

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