マッチョさんの剃刀

飲食店で働くすべての人が「この仕事を選んで良かった!」と心から思えるように。

矛盾も出会い

 小学2年生の夏休みに、母親の実家へお墓参りに来たついでに、河川敷でやってる夏祭りに行くことになり、母親と姉と僕の3人で土手沿いの細い道を歩いていた。

 

 

 祭りばやしの音が大きくなってきた時、向こう側から歩いて来た見た目1000%ヤンキーの若者2人とすれ違った瞬間、

 

 

 「わっ!オカンやん!」

 

 

 と一人のヤンキーが叫んだ。

 

 

 母親はその声に反応し、ヤンキーと同じように驚いた後、「久しぶりやな!元気にしとん?」と笑顔で言い、久しぶりに会う人が当然するような会話を一通りした後で、

 

 

 「この2人、オカンの子なん?」

 

 

 と、耳かきの反対側みたいな髪型の若者に聞かれ、頷きで「そうやで」を表した母親を見ながら、「また遊びに行くわな!」と、今度は釈迦如来のおでこの両サイドをてっぺんまで鋭角に剃り上げたスタイルの若者が言うのを合図に、その場を離れた。

 

 

 「あれ、誰なん?」

 

 

 僕の声が、あの若者2人に聞こえないタイミングを見計らって母親に聞いた。

 

 

 「あんたらのお兄ちゃんやで。」

 

 

 あまりにも普通に、まるでタンスの奥からしまったままの服が偶然出てきたから「アンタ、これ着とき!」とでも言うような口ぶりで、母親は僕と姉にそれを言った。

 

 

 

 「二人姉弟」と「兄が二人いる」は矛盾している。

 

 

 この矛盾した二つの認識を見比べた上で、矛盾をなくしてくれるような新しい認識として、

 

 

「二人姉弟だが種違いの兄が二人いる」

 

 

 という、本来なら、逃げずにそれと向き合いながら、様々な努力を重ねて得るべき進歩しまくったハイレベルな認識を、母親の至極当然の言い方のおかげで、コンマ2秒で得ることができた。

 

 

 あの日、母親が口にした「あんたらのお兄ちゃんやで。」は、もしかするとドイツの哲学者ヘーゲルの「矛盾を超えることで進歩は生まれる。」という考え方の、言い方を変えたバージョンだったのかもしれない。(んな訳ないけど)

 

 

 

 生きていると、人は様々な矛盾とぶつかる。

 

 

 そのせいで悲しみや苦しみを感じ、逃げ出してしまうようなこともあるかもしれない。

 

 

 だけれど、その悲しみや苦しみを超えた先には、今までの認識を捨て、新しい認識を手に入れることが出来た世界がある。

 

 

 「矛盾も出会い」

 

 

 そう思えたら、今までよりももっと豊かで、優しい気持ちになれるはずだ。

 

 

 実は父親も再婚で、娘が二人いたという事実も、まるで「さっきの屁、臭かったから、屁が出たことあえて言わんでもわかったやろ?」みたいな感じで別の日にサラッと告げられた。

 

 

 「矛盾を超えることで進歩は生まれる。」

 

 

 ヘーゲルを「屁出る」で濁してしまって申し訳ないが、これも新しい認識のためだと許してもらいたい。

 

 

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