以前、「やろうと思っています!」の中身の無さについて、本当ならクソカスに書いても良かったけれど、時代の流れに合わせて穏やかにオブラートにグルグル巻きにするような文章で書いたけれど、
相変わらず、未だに頻繁にこの「やろう思ってます!」に出くわすので、今度は視点を少し変えて、クソとカスをオブラートに包んで書こうと思う。
最近は、この「やろうと思ってます!」という人よりも、「思っている」に対して賞賛の声をあげる人の方が罪が深いと感じるようになってきた。
この罪深いお方が行っている自己満足の価値を認める風の行動は、PDCAサイクルのPの先っちょ部分で「いーねー!」を与えているのと同じ。
「やろうと思っています!」は、そもそも、「いーねー!」が欲しいだけのポーズなので、言う方からすれば、ゴールテープを切った状態。
P(計画)を練り上げることも、D(実行)に移すこともなく、Pの先っちょに留まり、また新しいPの先っちょを見つけてほざきだす。ほざき豊かだ。卒業してくれ。…
こうして書くと、誰も前進していない恐ろしい状況だと改めて気付く。怖い。
認めるべきは行動。
失敗しても、成功しても、評価は行動にのみするべき。
前にも書いたし、これからも何度でも言うけれど、少なくとも僕は、思いに賞賛を使いたくない。
今回もまた、クソとカスをオブラートに包み過ぎた。
飲み込んでくれ。