人は多くの場合、自分が意識したことしか受け入れない。
目の前に答えが転がっていたとしても、意識しないと気付かない。
そんな意識の邪魔をするのは『思い込み』。
ご多分に漏れず僕もその一人で、食べられない(食べたくない)料理や、読みたくない本、聴きたくない音楽や観たくない映画、やりたくないスポーツや、話したくない人… だらけの毎日を『思い込み』なんて考えることもなく暮らしていた。
中学3年生の時、骨の病気になって入院した。
病室で寝ているだけの毎日で、漫画を読むのも飽きてしまった。
あまりにも退屈で、たまたま病室の本棚に置いてあった本を手に取った。本なんて読んだ記憶が無いくらいの僕が。
退屈過ぎる時間が、僕の手を伸ばし、本を手にとらせた。
忘れもしない。
『わが回想のルバング島 - 小野田 寛郎 -』
パラパラめくっていくうちに、フィリピンのルバング島で終戦を知らずにそのまま約30年間も潜伏し続け、戦い続けた将校の回顧談に引き込まれていった。
自分でもびっくりした。
「文字ばかりの本なんて無理やし。」
なんて思っていたはずなのに。
むさぼるように読み、読み終わった時に思った。
「もっと何か読んでみたい…」
それから僕は、ありとあらゆるジャンルの本を読みまくり、好きな作家やお気に入りの本を見つけ、今でも読書が趣味の一つになっている。
「文字ばかりの本なんて無理」という『思い込み』を捨てさせたのは、出会い。
出会いは『思い込み』を追い出す。
それからも、”出会いのおかげ”を実感する経験を何度もした。
食べられない(食べたくない)料理を「食べてみょうかな?」に、聴きたくない音楽を「聴いてみようかな?」に、観たくない映画を「観てみようかな?」に、やりたくないスポーツを「やってみようかな?」に、話したくない人でも「話してみようかな?」に。
何かにつれ僕の前に現れてくれる出会いは、「やってみないとわからない」という意識を呼び起こし、『思い込み』を追い出してくれる。
『わが回想のルバング島 』を書いた小野田 寛郎は、こんな言葉を残している。
「先入観は邪魔物。物事は一方向から見ただけでは分からないものです」
異なる何かと出会った時、自分の中にある『思い込み』に気が付く。
その出会いは、凄いぞ。