母は、認知症の進行とともに、台所に立たなくなった。かつては毎日のように包丁を握り、家族の食卓を支えていたが、その姿を見ることは次第になくなっていった。
実家では、姉が二人の息子と暮らしながら、母の生活を支えていた。私が実家を離れてからも、母の日常は姉の手によって守られていた。
その年のお盆、私は妻と三人の娘を連れて実家に帰省した。久しぶりに家族が顔をそろえ、居間には子どもたちの声が響いていた。
仏壇に手を合わせ、皆で食卓を囲む準備をしていると、ふと胸の奥に浮かんだ思いがあった。食事を待つ時間の中で、私は思い切って口にした。
「おかあちゃんの玉子焼きが、久しぶりに食べたいな」
一瞬、場が静まり返った。すると妻が、私の言葉を受けるように言った。
「私も、おかあちゃんの玉子焼きが食べたい。」
それをきっかけに、「それがいい」「あれは忘れられない」と声が重なった。母の料理は数多くあったはずなのに、なぜか記憶は、同じ一品へと集まっていった。
母は少し迷いながらも台所に立った。「できるかな」と言いながら卵を割り、箸でかき混ぜる。何個使ったのか分からないほど卵を重ねた、とんでもなく分厚い玉子焼きだった。切り分けてもなお存在感があり、家族の人数分をしっかり満たす、昔から変わらない母の玉子焼きだった。
皿に盛られた玉子焼きは、瞬く間になくなった。
「もう一切れ」
「まだある?」
次々に箸が伸び、何度も焼き直してもらった。娘たちも無言で食べ続け、その様子を、母はどこか誇らしげに眺めていたように思う。
数日後、母は施設に入り、その後、入退院を繰り返した。やがて一年も経たないうちに亡くなった。振り返れば、あの日の玉子焼きが、母の最後の手料理だった。
現在、妻が作る玉子焼きの味は、不思議なほど母のものと重なる。似ているという表現では足りない。ひと口食べると、自然と記憶が呼び起こされ、心が落ち着く。
母から作り方を教わったわけではない。分量や手順を受け継いだわけでもない。それでも、味は確かにそこにある。
「今日、何がいい?」と聞かれると、私はいつも「玉子焼き」と答える。それは母の思い出を求めているからではない。妻の玉子焼きが、今の我が家の味として、素直においしいからだ。
料理は、人の記憶をつなぐ。言葉にしなくても、時間や想いを受け渡していく。母から妻へ、そしていつか娘たちへ。あの日の玉子焼きは、終わりの味ではなかった。
今も食卓に並び続ける、味のバトンである。
