マッチョさんの剃刀

飲食店で働くすべての人が「この仕事を選んで良かった!」と心から思えるように。

そういうものがたりをすきです。

 埋もれさせたくない事はたくさんある。

 

 

 テーブルの遺影に気づいたスタッフが、「お祖母様の分も」とお茶を提供したようなエピソードが共有される意味合いは、とても大きい。

 

 

 共有とは、複数の人が一つのものを自分のものとして共同で所有することで、それは情報も同じ。

 

 

 そう、まさに利他。

 

 

 仏教では、共同を〔ぐどう〕と読み、めちゃくちゃ大切で重要な言葉として、あちこちに出て来る。

 

 

 自分の利がとにかく先!とする心で生きた時、それが例え満たされたとしても、本当の幸せにはなれないという、人間への深いまなざしが、共同〔ぐどう〕には込められている。

 

 

 人は一人で生きているのではなく、常に「他と共に」生きている。

 

 

 これは「考え」ではなく「事実」。

 

 

 この世のものは、何ひとつ単独で存在するものはない。支え合い、関係し合い、影響し合って存在している。

 

 

 だからこそ、もっと、もっともっと、もっともっともっともっと… 今よりも、もっともっともっと、もっともっともっと…

 

 

 一人一人が、その事実を理解し、共有することの大切さを感じ、進んで発信者になろうと思わないといけない。

 

 

 埋もれさせてしまう事ほど、大きな無駄はない。

 

 

 自分だけが知っているたわいのないことや、日の目を見ていないハッピーな物語、感動の話。

 

 

 恥ずかしい話や失敗談もたくさんあっただろう。

 

 

 今年一年で、どれだけの情報が埋もれてしまったか分からない。

 

 

 自分にとっては何気ない話しや当たり前の事の一つ一つが、受け取る側にとっては、キラキラ輝く眩い情報なのかもしれない。

 

 

 

 宮沢賢治の『注文の多い料理店』は、

 

 

 わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃ももいろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
 

 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
 

 わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。

 

 

 から始まる。

 

 

 僕も、そういうきれいなたべものやきものが好きだ。

 

 

 みんなも、きっと好きだろ?

 

 

 だから、もう埋もれさせるのは終わりにしよう。

 

 

 2021年は、みんなが発信者になろう。

 

 

 

 わたしたちは、お店やにっぽうで、いっけんすれば当たりまえのにちじょうが、すばらしい物語や、さんこうになるはなしとして受けとられていくようすをたびたび見ました。
 

 わたくしは、そういうものがたりをすきです。

 

 

 

 きっと、そうなる。

 

 

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