固定観念を調べると、〔先入観〕〔思い込み〕〔決めつけ〕〔偏見〕〔囚われ〕〔執着〕など、口喧嘩でそれがあるなんて言われると、ショックで凹んで寝込むぐらいロクでもない言葉のオンパレード。
なので、自分はそうではないよ!なんて顔をしながら、多くの人は大事に大事に心の中に固定観念を置いていて、知らず知らずのうちに、大事にそれを磨き上げている。
もし、自分の固定観念が分からなければ、人の提案や、人に指摘された時の「それはこうだから」という弁明を思い浮かべればいい。
その「こうだから」が、きっと固定観念。
「もっと修行をしたい!」と願う修行僧が道場を探しまくり、見つけることが出来ずに諦めかけていた時、修行僧の先輩に、
「ん?修行道場を探してる?君、もしかしてアホなん?道場なんてどこにでもあるやんか、ほら、その心の中に…」
と言われてハッと気づく超ベタな話がある。
〔道場は建物〕という固定観念を、先輩は打ち破ってくれた。
それを禅語で【歩歩是道場(ほぼこれどうじょう)】と言う。「パパ、これどうしよう?」や「ほら、これドジョウ?」とは違うとだけ言っておく。
一歩一歩、言動のひとつひとつが全部修行で、心の中はもっと自由。
思う浮かべた「こうだから」を、修行僧の先輩は超ベタな言葉で打ち砕いてくれる。
心の中はもっと自由。
決まってなんか、ない。