ある日、北風が太陽のところにやって来て「太陽くん!今からぼくと力比べしない?」みたいなことを言い、太陽はそれに乗っかって、〔砂漠を歩く旅人の服を脱がすのはどっち?ゲーム〕をすることに。
北風が冷たい風を必死で旅人に吹き付けても旅人はそれに堪え、太陽のターンになると、太陽は温かい日差しを注ぎまくり、旅人は簡単に服を脱ぐというストーリー。
北風は「絶対脱がせてやる」という”自分の意思”オンリーで、旅人を服を脱ぐためのツールとして見ていることに対して太陽は、日差しの加減で”旅人の意思”によって服を脱がせようとしているという対比。
”自分の意思”と”相手の意思”。
イソップ寓話の『北風と太陽』は、そういう”意思の根本的違い”で生じる差を表現した物語だと、僕は勝手に解釈している。
僕たちの周りにもそれは溢れている。
【促がし方】を考えるより【勧め方】を考える方が、簡単に思えるから。
【話しかけられる方法】より【話しかける方法】の方が、たくさんあるように思えるから。
だから、あの手この手でアプローチという風が北風のように吹きまくっている。
北風は、旅人の服を脱がすことができなかったのに。
”自分の意思”と”相手の意思”。
本気で関係性を築いていきたいなら、この違いにもっと目を向けないとな。
即効性が高いように感じる「Z世代はタイパっす!」を少し緩やかにして、「太陽ならどうするか?」で、もっと溢れさせたい。
打算より、THE SUN(太陽)がいい。