言葉での説明に捉われると、ロクな事にならない。
感情や行動を、誰もがうまく言葉に変換できるとは限らないし、多くの場合は、尋ねる側の思考に誘導された言葉であって、感情や行動のど真ん中を拾えた訳ではない。
ワン!と吠えた犬が喜んでいると思ったら大間違い。「そこから動くなよ!噛むぞ!」かも知れない。
結果、そうやって作られた「言った事」は、感情や行動とズレていたり、見当違いだったり… にも関わらず、一つの型を生み出す。
〔型にはめる〕とはそう言うことだ。
「なんとなく」のふわっと感が受け入れられずに、感情や行動を表すには、本来足りない言葉を無理矢理はめ込んで「そういう事か!」にしてしまう。
感情や行動は、口から突然飛び出した喘ぎ声みたいなものだったりする。
なんか分からんけど美味い。
なんか知らんけど嬉しい。
それで十分な時もある。
型にはめられかけたら、うなずいたり、無理に言葉を探したりなんかしないで、ちゃんと言えばいい。
「言葉が足りねー」と。
質問すれば深掘り出来るなんて大間違い。そのスコップは万能ではない。
四ツ葉のクローバーを見つけるために、踏みまくった三ツ葉の存在。
踏み潰されてペチャンコになった三ツ葉が「気づき」を教えてくれている。
「気づき」は「築き」を超える。
「なんか知らんけど…」の奥には、ワクワクが潜んでいて、言葉ではない感覚の中に、それはある。
型にはめられるなよ!
ワクワクでいい。