「なりたい」はかっこいい。
と先週書いておいて何だけれど、実は『なりたい』の前に『したい』がある。
「イチイチ書かなくても…」と思っていたかれど、『なりたい』で迷走している人や、この先に目指すべきポジションの不明確さに不満を感じる人や、5年後の自分の姿を自分以外の人に委ねる人があまりにも多くいて、イチイチ書くことに決めた。
『したい』という感情は、経験によって作られる。その経験をしたか、それに近い経験をしたことがあるか。
「自分はいったい何をしたいのか?」
これをどんどん掘り下げていく。途中下車しない。《本当にしたいこと駅》に辿り着く前に、《なんとなくしたいこと駅》で降りている人が山のようにいるから、《なんとなくしたいこと駅》は大賑わい。
「自分は何をしたとき、一番嬉しいのか?」
《なんとなくしたいこと駅》で降りかけたら、もう一度自分に問いかける。問いかけて問いかけて問いかけまくる。
そして気付く。自分が降りかけた《なんとなくしたい駅》は、ただの種類だったことに。
店長とか、工場長とか、人事とか、マーケティングとか… そういう仕事の種類だったことに。
人は、人に影響を与えることで、喜びを感じる。
脳の機能がそういう構造になっている。
『したい』ことが見えてきた。
「自分が、世の中のどの部分に対して、どんな影響を与えたいか?」
行き先が見えた時、わかる。
この先に目指すべきポジションの不明確さに不満を感じたり、5年後の自分の姿を自分以外の人に委ねていた自分が、自分で勝手に自分に向かって嘆いていたことに。
スケジュール帳に約束の日があると、約束した日から、約束の日まで、とても楽しい気持ちになる。
『したい』に気づけば、『なりたい』が広がる。
それは、スケジュール帳に丸を付けた約束の日のように、今をワクワクさせるきっかけになる。
《本当にしたいこと駅》に行こう。
旅はまだ、始まったばかりだ。