「本当は、「〇〇さん、ようこそ、いらっしゃいませ!」と言いたいけれど、名前までは知らないから、「ようこそ、いらっしゃいませ!」にとどめているんです。」
っていう気持ちを表す表現が【目を見る】だ。
どうしても目を見れない時は【顔を向ける】なんだということを忘れてしまって、忙しくて、どうしてもそれが出来なかった時の、声だけで「いらっしゃいませ!」を言ったイレギュラーが、もう当たり前のようになって、【目を見る】も【顔を向ける】もしなくなって、誰に言っているのかすら分からない「いらっしゃいませ!」がこだまする。
「おはよう!」も同じ。
そうする理由は、シンプルに嬉しいから。
「名前を呼ばれたら嬉しい」
ただただ単純な理由の、難しくも無い、労力も不必要のたったこれだけのことを省く理由なんて何もない。
「名前を呼ばれるって嬉しい」という話しを10年前にも書いた。
名前を呼べないなら、 目を見る。
目を見れない状態なら、顔を向ける。
ここまでで終わり。
そうするだけで、家や、職場や、お店が、変わっていくことに気づく。
肯定感みたいなものは、シンプルの中にある。
探さなくても、もうある。