言葉を持たない時代。
頭の上にゴツンッ!と石が落ちて来た。
痛いという言葉が無いので、うなってもがくだけ。
「この気持ちを何とかして伝えたい…」
その時代のその人が、そう思ったかどうか。
また落ちて来やがった。
うなってもがきながら、幾度となく経験したこの感情を、何とかして伝えたいという気持ちで出た言葉が、
「…イタイ…。」
だった。
やがてそれは「痛い」と同時に、抱いた気持ちを誰かに届けたい感情の言葉「言いたい」も生んだという説を、今、僕が適当に作ったのは、関係の無い話。
言葉は、行動の後にできた。
言葉ができて、長い年月を経たせいで、すっかりそれを忘れてしまい、言葉が最初からあったかのような態度で僕たちは過ごしている。
「いらっしゃいませ」とは何か?
出迎える行動の、後に生まれた言葉ではなかったか?
一歩踏み出すこともせず、そちらを向くという行動もなく、言葉だけを発する人はいないか?
「お客様が来たら「いらっしゃいませ!」って言うんやで」なんていう教え方は、言葉だけを発する人を増やしているだけ。
言葉は、行動の後にできた。
「痛い」も「悲しい」も「嬉しい」も「好き」も「ありがとう」も「いらっしゃいませ」も…
その行動を伝えたい、届けたいという思いから生まれた。
お客様が来てくれたら、顔を上げて、笑顔で、一歩踏み出す。踏み出そうとする。
言葉は、その後や。