そのサッカー少年は、大きくなるにつれ、自分が特別な存在では無いことを周りにいる人たちに知らしめられ、
「好きなだけでは、どうしようもない」
なんて諦めた人たちの常套句を、見たり聞いたり言われたりして、「わかってるって、そんなこと」なんて口にしながらも、やっぱりどうしようもなくサッカーが好きで、心の中に着いた火種が燃え盛るような想いを情熱と呼ぶなんてことをいつの間にか知り、その情熱を、実際のプレーはもちろん、プレー以外の場所でも溢れさせた。
だけれど、自分はもう後半戦に突入していることを分かっていて、現実という、自分にとっては情熱と真逆にあるようなものを理解するために、溢れさせていた情熱を、「わかってるって、そんなこと」と言いながら、そっと、誰にも分らないように消した。
つもりだった。
情熱は、飛び火して燃えていた。
あの日、溢れさせた情熱は、どこかの大人の胸に届き、響いた。
「続けないか?サッカーを。」
スカウトしてくれた監督の言葉が沁みた。まるで現実が語りかけてきたように思えた。
情熱が、現実を飲み込んだ時、「好きなだけでは、どうしようもない」が「好きだから、どうしようもない」に変わった。
試合終了のホイッスルが鳴った。
ただ、彼にはそれが、次の試合の始まりの合図に聞こえた。
僕の甥っ子に起こったそれは、現実を歩く僕たちにも起こり得る。
情熱 A Go Go!
燃やし続けたって、いい。