「美味しく食べれんのなら、食べなくてもいいわッ!」
もたもたと食事をする小学生の子どもに、嫁さんは言う。
我が家には3人の子どもがいるが、全員これを言われて育った。
高校生と中学生の二人は、もうそれを分かっているので、「美味しく食べれん」態度を取ることは無くなったが、一番下の娘は未だ定期的に言われている。
【美味しいものを食べる】と【美味しく食べる】とは違う。
【美味しいものを食べる】は、“美味しいもの”の存在が、自分の幸せを左右している。一番下の娘は、自分にとっての“美味しいもの”と“そうでないもの”で態度をあからさまに変える。モノにコントロールされている状態なのだ。
一方、【美味しく食べる】は、食べ物に左右されるのではなく、自分次第でどうにでもなる。主体的な状態だ。
「モノに左右されるな!主体的であれッ!」
ベスト・キッドに出て来るミヤギが言いそうなセリフを、嫁さんは噛み砕いて子どもたちに届けている。のだとしたら、凄い。
【楽しいことをする】も同じだ。
“楽しいこと”の存在が、自分の幸せを左右している。
それはそれでいい。楽しいのだから。
だけれど、そうじゃなかったら?
仕方なくても、選択肢がそれしか無くても、それしか無理でも、どうしようもなくても、その環境の中にある一粒を、美味しく食べるかのように、楽しむ。
それがどんな時であっても、嫁さんが子どもに言うように、ぼくは、ぼくなりの言い方で、言い続けたい。
「さぁ、楽しもう!」と。