立場が上になると、勘違いをする。
『部下育成』
なんて言葉がきっといけない。
『教育』
なんて言葉も、さらに勘違いさせる。
立場は役割にしか過ぎない。
組織を円滑に運営するための機能の一部。
何かが評価され、その役割を与えられた途端に思考のスイッチが切り替えられ、変化する。
「教えているぞ、俺は!!」
な感じが、横柄な態度に映る。
何を隠そう僕も、そんなクソ野郎だった。
29歳で初めての子どもを授かり、続けざまに2人目ができ、親になった。
「親は子に教えてあげないといけない…」
そんな気持ちが自分を正当化させ、事あるごとに叱り、時には手を出して、泣きわめいても「この子のために」と思い込み、自分の立場を守った。
ある年の七夕の日、子どもが短冊に書いた言葉を見て、猛烈に自分を恥じた。
「パパの言うことを、ちゃんと聞けるようになりますように」
僕は、今まで何をしていたんだろう…。
自分の欲求を子どもにぶつけ、自分の方を向くようにムチで脅していただけ…。
子どもたちを呼び、泣いて謝った。心の底から謝まり、抱きしめて、わんわん泣いた。
「パパの言うことなんか、もう聞かなくていい。パパが間違えてた。これからは、自分たちのしたいことを、パパにいっぱい教えて欲しい。パパはそれを応援する。パパに応援させてほしい。」
と、言いながら。
俺は親やぞ!と思っていた。
親がいるから子どもがいると思っていた。
でも、実際はそうではなかった。
子どもの存在が、親にしてくれた。
この子たちのおかげで、親になれたのではないか。
感謝は求めるものではなく、するものだと、この時ハッキリと分かった。
キュインッ!と立場の話しに戻そう…
上司という役割も、「子どもがいるから親になれた」ように、そうなれた「おかげ」がある。
自分ができない代わりに動く人がいるなら、もうそれは感謝でしかない。
お互いがその気持ちを持てれば、今までとは全然違う関係性が作れるんじゃないか?
僕は、今、役割として、直接お客様を幸せにすることが出来ない。
代わりに、現場のスタッフは、毎日それをしてくれている。
たぶん、きっと、お互いがそんな気持ちでいる事を、絆と呼ぶんだろう。
1000字使って書いた文章を、たった一文字で表現できる日本語って凄いな。
絆。
Wow!