失敗は、行動の証で、「やったこと」ではない。失敗こそ、「できたこと」だ。
と、以前書いた。
失敗は、たくさんの気づきに出会える機会だ。
恥ずかしさや苦しさ、憂鬱さなんていう自分の感情に出会えるし、周りの反応とも出会える。
そして、それをリカバリーしてくれる仲間や、自分を支えてくれている人がいることを知ったりもできる。
気づく事さえできれば、気づきさえ得れれば。
気づきは、成長の萌芽で、できるようになることの始まり。
何回も、何回も、アホみたいに繰り返す失敗が成長の種だとしたら、アホみたいな自分は、種まきに必死な自分だと、自分を認めることができないか?
わかりやすく出て来た成長の芽。
その芽を大切にするように、その種も、大切に扱ってほしい。周りも、自分自身も。
成長は、できなかったことが、できるようになること。
その種は、今、「失敗」と呼ばれ、どこかへ蹴飛ばそうとしている一粒なのかもしれない。